<射撃ニュース8月>

8/30
(散弾銃自殺45歳男性警察官の目前で腹を撃つ:茨城)
29日午前1時50分ごろ、茨城県笠間市石井の市民体育館脇の路上で、同市平町に住む無職の男性(45)が110番通報して呼び付けた警察官の目前で散弾銃で自分の腹を撃ち、間もなく死亡した。県警笠間署は自殺とみている。調べでは28日午後9時50分ごろ、男性本人から「刃物を持っている。車の中にいる。来てほしい」と通報があった。署員が駆け付けると、軽乗用車内にいた男性が自分の首にナイフを突き付け「死にたい。家に遺書も残してきた」と話した。その後、男性は車から散弾銃を持ち出して路上に座り込んだため、警察官15〜16人が出て、3時間以上にわたって説得を続けていたという。散弾銃は県公安委員会からの許可を得て男性が所有していた。男性の家族によると、家庭内の問題で悩んでいたという。同署は銃刀法違反などの疑いで捜査している。

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8/22
(クマ出没:富谷)
21日午前11時55分ごろ、富谷町二ノ関鹿ノ山の私有林で、近くの無職、佐藤三重(みつしげ)さん(66)が草刈り中に突然、クマに襲われ、左顔面をひっかかれ鼻の骨を折る重傷を負った。県内でクマに人が襲われたのは、06年10月以来。今年度は出没件数が急増した06年度と同じペースで目撃されており、県などは注意を呼び掛けている。大和署の調べによると、佐藤さんは1人で自宅から徒歩20分程度の山林で作業をしていた。クマは逃亡したという。県自然保護課によると、県内は推定300〜800頭のツキノワグマが生息。今年度は既に270件目撃されている。統計を取り始めた01年度以降、最多となった06年度は年間670件出没し、5人が襲われ重軽傷を負った。昨年度は283件でけが人はなかった。山菜やタケノコが採れる春やドングリなど木の実が実る秋に比べ、夏は餌が少なくなるため人里に下りてくるという。同課は、東北道以西の山地とつながる林や河川のやぶなどにはどこでもクマが出没する可能性があるとして▽山に入る時はラジオや鈴をつけて人の気配を知らせる▽人の食べ物の味を覚えさせないよう、残飯は持ち帰る−−などと注意点を挙げている。

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8/16
(五輪:男子クレー・スキート)
男子クレー・スキートは世界記録保持者のハンコック(米国)が五輪記録の145点でブロボル(ノルウェー)と並び、シュートオフを制して優勝した。

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8/15
(ISSF会長ドーピング違反問題に言及)
ISSF・国際射撃連盟のラナ会長は15日、中国国際放送局のインタビューを受け、男子射撃の朝鮮選手のドーピング違反問題に言及しました。ラナ会長は「射撃選手は鎮静作用の薬物を服用する。血圧低下剤や睡眠剤など、これらの薬物は特定競技で禁止される物質である」と述べました。今大会で朝鮮射撃選手のほか、ベトナム女子体操選手の利尿剤服用とスペイン女子自転車選手のエリスロポエチン(EPO)服用の3件が明るみになっています。

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8/13
(尾瀬でもシカ捕獲へ。湿原の被害深刻化で環境省)
高山植物の宝庫である尾瀬国立公園の湿原でニホンジカによる被害が深刻になっている問題で、環境省は来年度から同国立公園の特別保護地区でのシカ捕獲に踏み切る。同地区でのシカの捕獲は、日光国立公園など被害が極めて深刻な場合だけに限られている。00年に「捕獲はあくまで特別保護地区の外側で」としたが、湿原の荒廃ぶりに方針を転換することにした。環境省は今秋から、シカによる湿原の掘り返しや通り道について、空撮も含む本格的な被害状況の調査に乗り出す。そのうえで福島県など関係自治体などでつくるシカ対策協議会に諮り、実施する。尾瀬のシカ対策で環境庁(当時)は00年、原則的に現状変更が認められない特別保護地区での捕獲を見送り、関係自治体などに地区外で捕獲してもらう手法を取ってきた。ところがこの間、シカによるニッコウキスゲなどの食害や湿原の掘り起こしが進んだ。環境省の推定では、生息数も98年の90頭から07年には241頭と増加しており、同省関東地方環境事務所は「特別保護地区内での捕獲が必要な段階に入った」と判断した。環境省によると、国立公園の特別保護地区でのシカ捕獲は日光の戦場ケ原のほか、知床や吉野熊野の大台ケ原などで実施している。 尾瀬でのシカの食害に詳しい木村吉幸・福島大教授(動物生態学)の話 脆弱(ぜいじゃく)な湿原をこれ以上傷めないためには、特別保護地区での捕獲は必要だろう。だが本来はシカの侵入経路を特定し、地区内に入らせないことが重要で、捕獲と併せてルート解明にも力を入れるべきだ。

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8/11
(進め決勝「ママ頑張る」クレー射撃・トラップの中山)
00年シドニー大会以来の五輪出場となった中山が女子トラップの決勝進出に挑んだ。シドニー大会はダブルトラップに出場して13位。メダル候補と騒がれて、「射撃が怖くなった」と言うほどの重圧がかかった。その後、結婚、出産などで一時期現役を退いていたが、03年に復帰した。6歳の長女芽生(めい)ちゃんとは「ママが頑張る時は芽生も頑張る。芽生が頑張る時はママも頑張る」を合言葉にして射場に立っている。
(中山惜しい4位)
女子クレー・トラップで、シドニー五輪以来2大会ぶり出場の中山由起枝(日立建機)が4位に入った。中山は86点をマークし、3−6位を決める4人のシュートオフに進出。惜しくも銅メダルに届かなかったが、クレー射撃で日本女子過去最高の成績を収めた。優勝はマケラヌメラ(フィンランド)で91点。男子エアライフルの山下敏和(自衛隊)は590点で28位。700・5点をマークしたビンドラがインドに今大会初の金メダルをもたらした。中山由起枝の話 シュートオフの1順目で前2人が外して神風だと思ったんだけど…。惨敗したシドニー五輪の忘れ物を取りに来るという目標は達成できた。ロンドン五輪ももちろん狙う。
(寄せ書き入りの日本国旗、掲示禁じられる)
クレー射撃女子トラップの試合後、中山由起枝(日立建機)の応援団が日本から持参した寄せ書き入りの日本国旗が、北京五輪組織委の担当者により掲示を禁じられる一幕があった。組織委の五輪観戦規則は、客席での国旗持参を禁じているが、この日は大きなメキシコ国旗を持つ観客が見られるなど、規則は弾力的に運用されている。国旗掲示を禁止した理由について説明を求められた担当者は、「ほかの観客の退場のじゃまになると思っただけだ」と釈明し、自身の氏名を明かすことをこばんだ。中山の母、広子さん(58)は「応援団と、娘と孫と一緒に記念撮影したいだけだった。せっかく皆さんが寄せ書きしてくれたのに」と残念そうに話した。
(世界の舞台で立派だった:茨城)
「よくがんばった」−。北京五輪のクレー射撃女子トラップで、結城市在住の中山由起枝選手(29)=日立建機所属=が十一日、女子トラップで日本人最高となる4位入賞を果たし、市民から健闘をたたえる声が相次いだ。この日、中山選手が予選を6位で通過し、念願の決勝進出が決まると、急きょ市役所1階ロビーに応援用の会場が設営され、職員や市民ら約20人がテレビで観戦し、応援した。応援会場では、中山選手が標的のクレーに命中させると、拍手が起きた。中山選手が終盤追い上げて、メダル圏内に入ると興奮は最高潮に達したが、4人で争われた“延長戦”で中山選手が的を外すと、ため息に変わった。それでも堂々の4位入賞に、テレビ観戦した同市在住の農業滝沢栄一さん(56)は「世界の舞台で立派に戦ったと思う」と称賛。小西栄造市長も「プレッシャーの中で、よく健闘した」とねぎらった。一方、中山選手のまな娘の芽生ちゃん(6つ)と父の隆さん、母の広子さんら家族と、勤め先の日立建機の社員はクレー射撃会場で応援。関係者によると、隆さんは「よくがんばってくれた。(自分の娘ながら)たいしたもんだよ」と健闘をたたえ、芽生ちゃんもママの活躍に涙を流して喜んだという。
(中山選手4位入賞「あと一歩だった」渡辺幹也監督)
11日行われた北京五輪射撃女子クレー・トラップ。メダルを逃した中山由起枝選手(29)=日立建機=は、悔し涙を流しながら渡辺幹也監督(69)=焼津市在住=に飛びついた。銅メダルをかけたシュートオフに臨む前、中山選手はスタンドで見守る長女・芽生ちゃん(6つ)のことを思いながら「ママは強いんだ」と自分自身に言い聞かせ、高ぶる気持ちを抑えた。「五輪に出る選手はみんな国旗を背負っている。普段通りの射撃ができるかどうかが勝敗の分かれ目になる」。渡辺監督の予想通り、ワールドカップで優勝経験のある若手や地元中国の選手が、重圧に押しつぶされるかのように予選で姿を消した。渡辺監督は、「やるべきことはすべてやってきた。あとは好きなようにやればいい」と声を掛け、中山選手を落ち着かせた。表彰台に立つママの姿を見せることはできなかった。しかし4位入賞はクレー射撃の日本女子では過去最高の成績。試合後、中山選手は悔し涙を流す芽生ちゃんを抱き上げた。「泣かないで。ママは頑張った。予選落ちしたシドニーの忘れ物を取り返したよ」「あと一歩だった。でもよくやってくれた。メダルを取れなかった悔しさは、ロンドンで晴らせばいい」。競技続行を宣言した中山選手に渡辺監督はエールを送った。
(インド初の個人金メダル)
ライフル射撃の世界チャンピオン、インドのアビナヴ・ビンドラー選手が11日、オリンピックの男子エアライフル10mで見事優勝した。個人競技での金メダル獲得はインド初の快挙だ。 25才ですでに4回の五輪出場経験があるビンドラー選手は、決勝の最後に最高スコアを叩き出し、700.5点で優勝した。ビンドーラ選手の金メダル以前は、2004年アテネ五輪でのラージャバルダン・シン選手(射撃)銀メダルがインドの個人競技の最高成績であった。 ビンドラー選手の金メダル獲得を受け、インドオリンピック委員会スレーシュ・カルマーデーィ会長は「彼(ビンドラー選手)は世界最高の射撃選手だ。彼の活躍が、選手団の士気を上げてくれるだろう」とコメントした。 インドチームのサニー・トーマスコーチは「とてもうれしい。ビンドラー選手はとても熱心な選手で、射撃チーム全員が彼の勝利を祝福しています。彼をとても誇りに思います。ですがこれは、まだ始まりです」、「ビンドラー選手は、冷静沈着な人物で、金メダルに輝いても興奮していない」とビンドラー選手を褒め称えた。

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8/10
(五輪:男子クレー・トラップ)
金メダル:ダビド・コステレツキー(チェコ)146、銀メダル:ジョバンニ・ペリエロ(イタリア)143、銅メダル:アレクセイ・アリポフ(ロシア)142、4位:マイケル・ダイヤモンド(オーストラリア)142。

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8/9
(北京五輪私が応援団長:麻生太郎幹事長)
麻生氏は、76年のモントリオール五輪に、クレー射撃スキート競技の日本代表で出場した。「競技レベル自体は、間違いなく世界選手権の方が高い。出場選手数も倍くらい違う。でも、五輪は4年に1度。アスリートなら『やらなあかん』と思う。国を背負うプレッシャーはかなりあるな」クレー射撃を始めたのは20歳の時。衆院議員も務めた父・太賀吉さんにキジ撃ちに連れて行かれ「案内の猟師に『あんた、天才かもしれない』とおだてられた」ことが、のめり込むきっかけとなった。念願の晴れ舞台を35歳で迎えた。国際大会の経験もあったが、勝手の違う五輪は戸惑いの連続だった。「射撃はものすごいメンタルなスポーツだ」と話すだけあって、本番前の精神統一は勝敗の鍵。だが「五輪だと、当時の日本は選手村に泊めたじゃない。枠にはめられた形で自分のペースを保つのは難しかった」。世界選手権ではホテルに宿泊し、食事も自由で気分転換もしやすかった。他競技の選手と同居する五輪選手村の独特の環境で、集中力を高めるのに苦労したという。五輪の2年前に行われたメキシコでの国際大会で優勝し、戦前はメダルも期待されたが、重圧感の影響もあってか、本番では68人中41位に終わった。その直後に第一線から身を引いた。現在は日本クレー射撃協会会長を務め、現役選手にも熱視線を送る。北京でのクレー射撃日本代表は、中山由起枝(日立建機)のみ。07年W杯優勝などメダルも視野に入れるが「『引き金度胸』がいい。女子でパッと引き金を引けるのはあまりいないけど、彼女はいいよ」と興味を示す。

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8/7
(射撃中山初メダルに照準)
ソウル五輪の女子ピストル銀メダリスト、福島実智子(国友銃砲火薬店)が5大会ぶりのメダルを狙える。25メートルで世界ランク14位だが、五輪4度目の経験が生きそうだ。男子の松田知幸(神奈川県警)も5月にW杯ミュンヘン大会を制し、大舞台に強い。ライフル男子は欧州勢が軸。W杯ミラノ大会50メートル伏射2位の山下敏和(自衛隊)にも期待だ。クレー女子トラップの中山由起枝(日立建機)は結婚、出産を経て精神面が充実。女子初メダルに届くか。
(射撃代表5人が記者会見)
北京五輪射撃の日本代表5人が7日、選手村で記者会見し、男子ピストルの松田知幸(神奈川県警)は5月にワールドカップ優勝の経験があり「メダルも夢でない。モチベーションを高める一つの材料としてプラス思考でいきたい」と意気込んだ。1988年ソウル五輪で銀メダルを獲得した女子ピストルの福島実智子(国友銃砲火薬店)は4度目の大舞台に向けて「メダルは頭にあるけれど、結果を意識しすぎると駄目。自己記録を更新して結果につながればいい」と口にした。クレー女子トラップの中山由起枝(日立建機)は五輪と同じクレーを取り寄せて練習したそうで「勝ちたい一心でやってきた。自分に期待をしたい」「シドニーから大きく成長した姿を見せたい。ここまで成長できたのは、シドニー五輪出場後に生まれた子供の存在が大きい」と力強かった。

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8/4
(クレーの中山が北京入り)
北京五輪に出場するシンクロナイズドスイミングとクレー射撃女子トラップの日本代表が4日、北京入りした。シンクロの鈴木絵美子、原田早穂(ミキハウス)組は、到着後もリラックスした様子。鈴木が「いよいよ本番なんだなと。日本にとっていい風が吹くように責任を持ってやりたい」と決意を語れば、原田は「日本にいい流れを持ってきたい」と意気込んだ。 クレー射撃の中山由起枝(日立建機)はシドニー大会以来8年ぶりの五輪。「娘にメダルを取ってくる、と言った。母親でもここまでやれる、ということを証明したい」と闘志を見せた。

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8/3
(次世代小銃:朝鮮日報)
ベトナム戦争では一人射殺するのに銃弾が2万5000‐3万発必要だった。第2次世界大戦の時は一人射殺するのに5万発以上。兵士たちは恐怖に震え、訓練時のようにうまく照準が合わせられないからだ。命中率が高い次世代の小銃開発が世界各国の課題になっていた。ドイツの武器メーカー、HK社は1990年代初め、G11ケースレス(無薬きょう)小銃を開発した。銃弾を発射後、遊底(銃の基部にある部位)が後ろに下がり薬きょうを排除し、再び銃弾を装てんする方式ではなく、薬きょうがない銃弾を3発一度に撃つという新しい概念の銃だった。ところが、製作コストが高すぎて作られなくなった。ロシアでは94年に引き金を一度引けば銃弾が2発ずつ出て、1分間に1800発まで撃てる小銃「AN‐94」が開発された。「世界最高の小銃」といわれた軍用ライフル「AK‐47」の最高発射速度は1分間で600発だ。「AK」は「設計者カラシニコフ(Kalashnikov)の自動(Auto)小銃」、「AN」は設計者ニコノフ(Nikonov)自動(Auto)小銃」という意味だ。米国の歩兵学校で86年、銃弾を撃った後、それが敵の頭の上でさく裂すれば従来の小銃より殺傷能力が高まるという論文が発表された後、米国はこの方式の銃器開発に力を注いだ。ATK社は2002年、5.56ミリ小銃に20ミリりゅう弾発射機を付けたXM‐29を開発した。レーザーで射程距離を測定した後、発射した銃弾が目標物の2メートル上でさく裂するようにした。しかし、空気さく裂弾の性能が悪く、計画は中断された。スウェーデンやシンガポールでも同様の小銃開発に取り組んでいるが、まだ開発には成功していない。「こうした方式の小銃は韓国の地形に合っている」として、国防科学研究所(ADD)も2000年から「次期複合型小銃」の研究に着手した。この次世代小銃開発が成功し、来年には実戦配備されるというニュースが伝えられた。国産K2小銃に20ミリりゅう弾発射機を付けた点ではXM‐29に似ているが、銃弾が目標物の上空でさく裂するようにした技術は違う方式だ。ソフトウエアが装備された空中さく裂弾が回転数に基づき目標物までの距離を自動計算した後、目標物の上空3‐4メートル上でさく裂するようにしている。韓国の研究者や防衛産業企業が8年間、昼夜を問わず努力し、優れた情報技術(IT)も手伝って、先進国ですらなし得なかった成功を遂げた。個人火器の概念や歴史を一挙に塗り替える快挙であると同時に、新たな武器市場に先制をかけた。大量輸出への道も見えてきた。国民の関心と政策的な配慮を支えに、韓国の新たな武器が世界的な武器に飛躍することに期待したい。

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